2020年の教育改革。つめこみ型の学習から「主体的な学び」や、「思考力」「表現力」などをキーワードとした学習内容が声高く叫ばれ、これからの学びがどうなっていくのか、どんな力を身につけていけばいいのか不安になることも多い中、ここで改めて、子ども時代に教養を身につけることの重要性について語る人物がいる。小学館の通信教育『まなびwith』の国語教材の作問者でもある佐藤友樹先生だ。
今回は、長きにわたり予備校講師、受験塾講師などを経て、国語問題の作成および分析のプロとして活躍してきた佐藤先生に、子ども時代に身につけるべき力についてインタビューをした。
いつの時代も自分の人生は自分で切り拓かないといけない。その強い味方が、教養。
―「教育が変わる」と言われていますが、今子どもたちが身につけるべき力は何だと思いますか?
佐藤先生:学習指導要領に関していえば、「アクティブラーニングが導入されて~」などと言われていますが、「自主的な学びの姿勢を育てる」ということは、私が受けてきた昭和の教育でも同じです。
いつの時代も、子どもはいつか「自立」しないといけないわけだから、自分の目標を見つけ、困難な課題が生じれば自分でそれを解決してゆく力が必要ですよね。そのときに、強い味方となるのが「教養」であり、その重要性は今も昔も変わらないんです。
―「教養」ですか?
佐藤先生:「教養」は、ものごとを正確に理解したり、わかりやすく伝えたりする力を支えている基盤となるものであると思います。その人に、蓄積されている言葉(=知識)の力ですね。国語的には、語彙力、と言ってもいい。
―これからの学校教育で具体的にどんな場面で「教養」が力を発揮するのでしょう?
佐藤先生:例えば、これから学校では先生が一方的に教える、というよりは子どもが自発的に発言したり課題を発見したりする授業も増えてくると言われています。そういった場面では、知識がないと有意義な発表はできませんよね。考える力や正確に伝える力も必要で、それには結局「教養」が重要になってくるということです。
また先ほど自立の話をしましたが、自分で問題を解決していく上で、人からアドバイスをもらうにしても、自分で本を読んで考えるにしても、理解力がなければ十分に学び取ることができません。
それに世の中はどんどん変化します。そうした世の中の動きを「読む」力を持つことも大切です。あらゆる教科の知識を背景にした「教養」の有無が、そこでものを言うと思います。
教養のある子は、どんな話も理解できる網(=語彙力)を持っている。
ー教養のある子とそうでない子の違いはどのようにしてわかるものなのでしょう。
佐藤先生:質問にきちんとした受け答えができるかどうかでしょう。文章ではなく口頭。相手の話していることを理解すると言うのは実は簡単なことではありません。耳から入る音は初めは全てカタカナの状態ですから。
例えば、「キョウヨウガアル」と言う言葉。これを「教養」と言う言葉を知らない人が聞いたら「今日用がある」と理解するかもしれない。
言葉を知らない時点で相手の言うことを正確に理解することができずにトンチンカンな受け答えをしてしまう。先ほど、「教養」の正体が「語彙力」と言ったのはそういうことです。受け答えがちゃんとしている子は頭の中の漢字変換能力が高いはずで、語彙力があるほどその性能は高いと言えます。
―同じことを教えても、語彙力のある子は理解力が高いということですよね。
私の経験上、成績が伸びる子は、やっぱり「語彙力」がある生徒です。話を理解できていなければ、どんないい話をしても馬の耳に念仏ですから。
「語彙力」のある人とない人では、学習の効率が圧倒的に違います。繰り返しますが、しゃべっていることは、実際は全部カタカナの状態で、それを漢字に変換するというのは、とても高度な能力です。
たとえば、「コウセイ」と言ったときに、「後世」「構成」「厚生」「公正」「攻勢」「恒星」「鋼製」「更正」「校正」「抗生」「硬性」といった語句があって、その中から、適切なものを瞬時に判断しなければいけないんですね。だから、聞き手の側にどれくらいの「語彙力」が確保されているかどうかで、理解度は全く違います。
比喩で説明しますと、教養のある人は大きな網を持っている漁師です。話を聞きとることは、海の中で泳ぐ魚をつかまえる行為で、語彙力が少ないとその網は小さい。泳ぐ魚をつかまえるのは大変でも、網が大きければつかまえやすくなるわけです。大人ももちろんですが、子どもの頃から語彙力をつける(網を大きくする)ことを重要視して欲しいですね