2022年10月1日、大阪府立中之島図書館にて、小学館集英社プロダクション主催の講演会が開かれました。
講演タイトルは『ゴリラ研究から考える日本の教育の未来~ゴリラから教わった大切なこと』というユニークなもの。
登壇者は霊長類学者にしてゴリラ研究の第一人者、山極壽一氏。京都大学総長、一般社団法人国立大学協会会長、日本学術会議会長などを歴任し、2021年4月より総合地球環境学研究所所長を務められています。
「40年以上アフリカに通ってゴリラ研究をしてきましたから、もはや私の背後霊はゴリラなんですね。ゴリラの視点を通して物事を眺めると、人間について不思議なことが見えてくるなあと。とりわけ、教育については特別です」
冒頭、このようなユニークな語りで始まった講演。これまでゴリラの生態を研究してきた山極氏ならではの視点で語られた教育に関するお話をご紹介します。
目次
教育は「究極なおせっかい」であり、その源は「共感力」
他の動物に比べて人間の成長に特徴的なのは、長い離乳期と遅い成長、そして急速にやってくる思春期。これを背景とし、人間社会では、親だけでではなく、共同体で子を保育していくことが必要になった、というのが山極氏の考え。
自分の犠牲をいとわず集団に貢献できる感性を持ち、集団への強い所属意識を持つ人間独自の社会性も、この共同保育に強く起因していると言えます。
―共同保育の中で、大人たちからさまざまな教えを得ることで、憧れを持ったり、目標に向かって努力したり、他者の中に自分を見るといった、他の動物にはない共感力をもっていきます。そして、大人たちがそれを知ることで、前に立って手を引き、後ろから背中を押すという「教育」が始まります。(山極氏・以下同)
つまり、教育は育児の延長の「究極のおせっかい」であり、そのおせっかいの源は「共感力」ということです。
共感力を強める「遊び」。その理由は?
人間の共感力を強めたもののうち注目したいのが、山極氏がゴリラの生態を通して紹介した「遊び」。
ゴリラは連続して1~2時間も遊ぶことができるし、その間、声を出して笑うことができるそう。微笑を浮かべて他のゴリラを遊びに誘うこともあるし、おいかけっこや父親の体を使った滑り台遊び、その中で高笑いをしたりすることも。
この純粋な遊びのどのようなところに「共感力」を強める秘密があるのでしょうか。
―遊びは、そもそも遊ぶことが目的なので、どんなに大きな個体でも小さな個体に強制することができません。小さな個体が遊ばなくなったら成立しないので、小さな個体がイニシアチブをもつことができます。
追いかけたり追いかけられたりと役割を交代することもあるので、大きい個体が小さい個体に合わせなければならないことも。途中で笑いが起これば、まだエスカレートしてもいいんだなという判断にもなり、新しい遊びが生まれたりもします。
「遊び」によって、相手の体力や気持ちを理解する能力が育つ、つまり共感力が高まるのです。
人間の子どもたちの遊びに置き換えてみることもできそうですね。
勝とうとすることと、負けないことは違う。自己主張にまつわる問題提起。
講演では、ゴリラの喧嘩のおさめ方から自己主張のバランスのとり方を学んだという話も。
自己主張は必要なスキルですが、過剰だと周りの反感を買うことも。その塩梅は成長段階で体験から学んでいくことがとても大切ですし、周りの大人の関わり方も重要です。
山極氏がサルとゴリラの生態から指摘したのは「勝とうとすることと負けないことは違う」ということ。
サルの社会では、争いがおこると勝つためには相手を押しのけ屈服させなければならず、負けた側が屈服した表情や態度を示すのがふつうです。勝ち負けをはっきり決めることに重きが置かれますが、それはあらかじめ勝敗を決めてトラブルを防ぐ効果があります。
一方、ゴリラは威張るのが好きで自己主張はするものの、負けず嫌いで、そもそも屈服する表情や態度を持っていません。争いがおこると必ずほかの個体が仲裁に入り、争いによりお互いが傷つくことを避け、お互いの共存の意思を認め合おうとします。
―人間の社会でも、負けず嫌いで「負けたくない」と思っている子もたくさんいると思います。でもそれを、親が「この子は勝ちたいと思っているんだな」と勘違いして無理に勝ち負けをつけさせることもあるのではないでしょうか。
もしかしたら子どもなりに、勝つことで友達を失いたくないと思ったり、負けた相手のことを想像したりして、わざわざ勝ちたくないと思っている子もいるかもしれない。
負けさせないということよりも、勝たせることを優先してはいないか、勝ち負けをつけることにこだわっていないか、それは正しいのか、とゴリラを研究していると思えるんですね。
共感力を使い、身体を共鳴させて学ぶということの大切さ
また、現代において、急速な科学技術な進歩に私たちの身体と心がついていっていないという問題提起も。
人間の脳を構成する「知能」と「意識(=感情)」。この二つが分かちがたく結びついて判断力をもたらしていましたが、今や「知能」は知識・情報として脳の外に出されてAIとして期待値をはじき出すことができるようになりました。一方、「意識」は置き去りにされ、情緒や共感力を土台とする社会性が希薄になっているというのが山極氏の指摘。その影響は教育のあり方にも及んでいます。
―現代の子どもたちは、知識は人や本から得るものではなく、インターネットの中にあると思い込んでいる節があります。ですが、そこにあるのは既存の知識。
一方で人から学べるのは、人間の外に出せなかった知恵や体験、まだ文字化されていない、未来につながる能力です。そういうことを、実践しながら身体で学ぶということをしないといけない。
身体を共鳴させながら学ぶということ、共感力をつかった学びの場をいたるところに作るということが大切なのです。
新たな社会のデザインのキーワードは「共助」
ゴリラの社会と比較して、移動する自由・集まる自由・対話する自由によって成り立っているのが人間の社会。ところがコロナをきっかけにこの自由が制限されました。
自由な移動や対面での会話、芸術活動やスポーツなどの制約はその例です。同時に、オンラインでできることが広がったり、お金のまわり方や都市の価値が見直されたりなど、3つの自由に関する価値観が新たに見直されています。
このような社会では、信頼関係が失われやすいことが危惧されており、人々の信頼関係が希薄なものになれば、人の裏切り行為で社会生活が簡単に脅かされる危険性も高まります。
いま必要とされているのは、人とのつながりを再び強めていくための社会デザインといえます。
―社会性を強めていくために、これから重要なのは、「シェア(分かち合うこと)」と「コモンズ(共有材)」を増やすことだと思います。
ものを使うこと自体に価値を見出し、使わなければ使う人に譲る(シェア)、そしてみんなで一緒に使いましょうという共有材(コモンズ)を増やしていく。
医療・教育・交通のコモンズ化、そして衣食住のシェア化、消費経済ではなく交換・贈与経済を目指し「共助」による社会デザインを行うことで、人間社会の原点である信頼関係を高める仕組みを作っていくことができると思います。
山極 壽一(やまぎわ じゅいち)氏 プロフィール
1952年、東京都生まれ。人類学者、霊長類学者にして、ゴリラ研究の第一人者。
日本学術振興会奨励研究員、財団法人日本モンキーセンターリサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科教授、京都大学大学院理学研究科研究科長、京都大学理学部学部長、京都大学総長(第26代)、一般社団法人国立大学協会会長(第26代)、日本学術会議会長(第29代)などを歴任。2021年4月より総合地球環境学研究所所長。